知っておくべき地震30+α 21~30


2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(通称:東日本大震災)が発生しました。
あの大災害から今年で10年となります。
日本は歴史上多くの大地震が発生しております。
防災を勉強される方はぜひ知っておくべき地震を簡単に分かりやすくご紹介します。

新潟地震

1964年 6月16日 M7.5

記録に新しい新潟県中越地震と比べ死者は少ない(26人)が、教訓として語られ続けている地震。
まず日本海側、しかも新潟沖で5mの津波を観測したことは過去にも歴史がなく、コンビナート火災、地盤沈下によるアパートの倒壊と言った衝撃は後年に影響を与えた。

あまり注目されていないが、日本海側でこれほどまでの規模の地震が発生し、数多くの未知の被害が生じたにもかかわらず死者が30人にも満たなかったのは奇跡と言ってもいい。

松代群発地震

1965~70年

日本の地震観測及び研究を大幅に進歩させた群発地震。
4年半で有感地震6万2821回を数えた、世界的に見ても特出した数字を残している。
もっと分かりやすく言うと、1日で有感地震が600を上回った時期もあった。

十勝沖地震

1968年 5月16日 M7.9

北海道から岩手までの多くの範囲で震度5及び6を観測した激震。
津波被害は少なかったが、公共建造物、とりわけコンクリート建造物が数多く破壊された。
函館大学では1階部分が押しつぶされ、これを機に耐震建造が指定された。

防災訓練では絶対に語られない被害を紹介したい。
三戸郡名川町剣吉中学校では地震発生後、生徒が校庭に避難した。
しかし、盛土だった校庭は突如として崩壊、生徒11人が生き埋めとなり結果として4人が犠牲となっている。

日本海中部地震

1983年 5月26日 M7.7

発生当初、日本海で起きた地震としては最大とも言われた巨大地震。
津波に慣れていない日本海側では地震発生後、津波に対する対策が遅れたため、遠足中の生徒13人が浜で溺れ、、護岸工事関係者36人中35人が犠牲となるなど、死者104人の内、津波の死者だけで100人を数える災害となっており、韓国ソ連でも死者が出ている。

この地震では気象庁が津波警報を伝達する際に誤送があり、その為に津波警報が地震発生後40分後となったため、人災でもある。

長野県西部地震

1984年 9月14日 M6.8

御嶽山が前回噴火してから4年後、突如として長野県を襲った地震。
御嶽崩れと言われる土砂崩れや王滝村での土砂崩れで多くの死者が出た。

手島悠介が著した『大地震が学校をおそった』
この地震について多くの記述があり、自分も小学校の時に読んだことを覚えている。
自分の子供が土砂に飲まれ、行方不明になっている生徒の母親の記述は今でも忘れられない。

北海道南西沖地震

1993年 7月12日 M7.8

記録に残る日本海で発生した地震の中では最大の地震。
震源に近い奥尻島では推定震度7の揺れから5分後、大津波が島を襲った。
夜10時を回っており、逃げ切れなかった住民など230人が死亡している。

この地震で最も多くの被害が出た奥尻島青苗地区。
三方向から迫り来る津波は青苗の全てを飲み込み、500を上回る世帯にも関わらず全壊率八割を記録し死者は三桁に昇った。

兵庫県南部地震

1995年 1月17日 M7.3

通称:阪神淡路大震災
年も明けて落ち着きだした早朝、神戸の街を激震が襲った。
阪神淡路大震災と名付けられたこの地震では戦後最大となる6435人の死者が出ている。
長田区の商店街では四方八方を火災に挟まれ、焼け野原と化した他、淡路島でも多くの被害が出た。

自衛隊派遣は県の首長にのみ許されるという決まりがあった当時、独断で自衛隊派遣を要請した兵庫県消防交通安全課長補佐に関する記事はあまりにも少ない。

新潟県中越地震

2004年 10月23日 M6.8

2時間足らずで震度6弱以上の地震が4度も発生したことで有名な地震。
全体で68人が死亡又は行方不明となっており、長岡市の崖崩れは連日報道された。
あの時、3人の中で唯一救出された幼児は15歳となった今、元気な姿で柔道を続けている。

福岡県西方沖地震

2005年 3月20日 M7.0

あまり知られていないが、震源地近くの玄界島では震度7相当と見積もられている地震。
死者は一人だが負傷者が1400人を数えており、都市型災害の怖さを改めて示した。
福岡県沖でこれだけの地震が発生したことは、ここ1000年単位でもこの地震だけだと言われている。

宮城県沖地震

2005年 8月16日 M7.2

日本で一番発生頻度が多いとされる宮城県沖地震の一つ。
死者は出なかったが、徳島から北海道まで地震を感じた。
この日、お昼前の宮城県の地域ニュースを放送中に地震が発生、アナウンサーが冷静に注意を呼びかける映像は必見である。

岩手・宮城内陸地震

2008年 6月14日 M7.2

直下型地震としては21世紀に入って国内最大のマグニチュードを計測した地震。
ほかの内陸地震と同じように数多くの土砂災害が発生して被害が拡大した。
祭畤大橋が宙吊りになっている映像は記憶に懐かしいところ。

東北地方・太平洋沖地震

2011年 3月11日 M9.0

通称:東日本大震災
国内観測史上最大となるマグニチュードを観測した超巨大地震。
戦後初めて、自然災害で死者が1万を超えた地震でもある。
戦後の大災害と呼ばれる地震にあるにも関わらず、石巻市の死者(3700人)だけで戦後2番目の死者数である。

この地震では数多くの予想外が積み重なったこともあるが、天災であることには違いない。
過去にこれだけの地震が起きていることを踏まえた上で、この大災害を語り継ぐべきなのだと思う。

茨城県沖地震

2011年 3月11日 M7.9(アメリカ地質研究所発表)

東日本大震災の最大余震であるこの地震についても紹介したい。
マグニチュード7.9という数字は単独でも南海地震に匹敵する大きさである。
茨城県大洗町を襲来した津波もこの地震が大きく影響しており、これが単独で発生していても死者が発生するレベルとされている。

2000年代に日本近海で発生した地震のマグニチュードでは、東日本大震災に加えて3つの余震もランクインしている。

まとめ

熊本地震、大阪府北部地震、北海道胆振東部地震・・・・。
最近でも震度5弱以上の地震が全国で発生しています。
近い将来、首都直下型地震や南海トラフ巨大地震などが発生することが予測されています。
先人たちの災害に対しての教訓を心の片隅に置いてほしいです。

改めて数えてみたら31+αでした……