知っておくべき地震30+α 11~20


2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(通称:東日本大震災)が発生しました。
あの大災害から今年で10年となります。
日本は歴史上多くの大地震が発生しております。
防災を勉強される方はぜひ知っておくべき地震を簡単に分かりやすくご紹介します。

濃尾地震

1891年 10月28日 M8.0

近世の地震観測になってから最初で、有史上でも最大級となる直下型地震。
この際動いた根尾谷断層は今でもその形を見ることができる。
岐阜市で死者4000人、名古屋市で死者2000人を超す大災害となった。
この地震で多発した液状化現象により、勅令で地震学や建築学が推奨された。

庄内地震

1894年 10月22日 M7.0

秋田を中心に被害が発生した地震、死者は800人弱。
特筆すべき点はないが、当時の写真を見ると秋田市内が焼け野原になっていることが分かる。
米倉が炎上した跡地に出来た商業高校では、今でも校庭を掘ると焼き米が出るとのこと。

明治三陸地震津波

1896年 6月15日 M8.1

最大震度3程度でありながら、三陸沿岸を大津波が襲来した地震。
死者22000人は今でも日本の津波災害としては最大のものとなっている。
岩手県田老村では人口2248人の内、1859人が死亡するなど、岩手県全体で一家全滅した家庭が728戸あったと記録されている。

昭和三陸地震

1933年 3月3日 M8.1

明治三陸地震に匹敵するマグニチュードを観測した地震。
この時は烈震を東北地方各地で観測した為に死者は明治の際の15%に抑えられた。
この地震以降、田老万里と言われる防潮堤など津波対策が本格化された。

関東大震災

1923年 9月1日 M7.9

死者14万人を超える、日本史上最大で最悪の地震災害。
陸軍被服跡で発生した火災旋風だけでも3万8千人が死亡しており、文字通り死体の山であった。
火災の被害ばかり注目されているが、大津波もこの被害を拡大させている要因であり、熱海に12m、三浦に6m、洲崎に8mの津波が襲来して1万人の死者が生じたとされる。
列車もろとも鉄橋を海中に押し流した根府川の山津波など、数多くの災害が発生した。

北丹後地震

1927年 3月7日 M7.3

地震の規模の割に、多くの死者(約3000人)が発生した地震。
要因はこの年襲った大雪であり、その為に多くの家屋が倒壊した。
雪解けした際、固まった雪の下から次々と死体が発掘されたと言われる。

鳥取地震

1940年 9月10日 M7.2

太平洋戦争の開戦まで後少しである1940年に発生した直下型地震。
夕餉時の地震の為に次々と火災が発生し、死者は1000人を数えた。
この時、出動した軍隊は空襲を想定して対策を検討したとされ、その為に地震の現地調査も極秘扱いされ公表されなかった。

昭和東南海地震

1944年 12月7日 M7.9

戦争真っ只中の1944年、東海沖で発生した大地震。
地盤が軟弱だった中京工業地域はたちまち壊滅的な被害を受け、次々と爆発物が爆発するなど一体は地獄絵図となった。

1ヶ月後に発生した三河地震はこの地震で被害の少なかった三河地域に被害を与え、疎開中の学童など、二つの地震で合わせて死者は2306人にも及んだ。

昭和南海地震

1946年 12月21日 M8.0

終戦の混乱収まらない1946年末、早朝の南海道を地震が襲った。
徳島、高知、和歌山と次々に津波が襲来し、1432人が死亡、行方不明する被害となる。
高知では地盤沈下の為に沿岸部の地域で浸水し、交通が船となるところもあった。
森繁久彌は幼い頃この地震を徳島県海陽町の旅館で被災しており、旅館の経営者の妻がなくなっている。

福井地震

1948年 6月28日 M7.1

福井平野一帯を襲った激震、死者3769人。
全壊率100%を記録した集落が30を超えたと記録されているほどの地震であり、この地震を気に震度7が制定されたが、実は福井地震の最大震度は6である。
戦争から復興の気配を見せていたバラック小屋の点在する福井市街は、またしても焼け野原となった。

チリ地震津波

1960年 5月23日 M9.5

チリで起きた有史上最大の地震、このクラスの地震は500年に一度発生するかどうかと言われている。
この地震による津波が、音も無く翌5月24日未明に日本沿岸に襲来した。
石巻で5m、尾鷲で4mの津波が観測されており、死者は岩手から沖縄まで142人に及んだ。