彼の名は小松五郎、フリーの防災コンサルタントである。五郎は防災について独自の哲学を持ち、その哲学を求めて一人歩き続ける。
今日は横浜市内にある小さなオフィスビルへ向かう。依頼者は、中小企業を経営する社長の木下さん。社員数は30名ほどのアットホームな会社だが、防災対策については手が回っていないらしい。ビル自体は築20年ほどで、見た目はしっかりしているが、内部の対策がどうなっているかが問題だ。
五郎は静かにビルの入り口に立ち、深呼吸をする。「今日はオフィスか…社員の安全を守るには、どうアプローチするかがカギだな」そう考えながら、木下社長に出迎えられるまま、社内に入る。
「小松さん、ありがとうございます。正直、ウチは何もできてなくて…防災対策って、何から始めればいいのかさっぱりなんです」と木下さんは頭をかきながら笑った。
五郎は軽く頷く。「問題ありません。まずは、現状を見させていただきます」
オフィス内は清潔で、社員たちも和やかに働いているが、五郎の目にはすぐに気になる点がいくつか映った。デスクの配置、避難経路の確保、そして非常用備品の場所など、すぐに改善できる箇所が目立つ。
「まず、デスク周りですね」と五郎は口を開く。「地震が来た時に、すぐに身を守るスペースが必要です。今のレイアウトだと、倒れやすい書類棚やプリンターが近くにあります。これらをしっかり固定するか、できるだけ人から離すことが大切です」
木下さんはデスクの周りを見渡して、「ああ、確かにそうですね。地震が来たらみんな危ないかも…」と呟く。
「そして、次は避難経路です。オフィスから避難する際、非常階段へのルートがしっかり確保されているかどうか、確認する必要があります。この通路に荷物が置かれていると、パニック時に大変危険です」
五郎は、オフィスの片隅に積まれた段ボールの山を指さした。木下さんは目を丸くし、「そういえば、最近倉庫が狭くなって、ここに仮置きしてたんですよね…」と気まずそうに笑った。
「災害時は混乱が起きやすいです。だからこそ、道をふさぐものはできるだけ片付け、避難経路を常に開けておくことが重要です。また、全員がどこに逃げるべきかをあらかじめ知っておくことも大切です」
木下さんはメモを取りながら頷いている。「なるほど…社員にも徹底しておきます」
五郎は続けて、「非常用備品の確認も重要です。例えば、停電や断水が起きたとき、すぐに使える非常食や水、簡易トイレは備えてありますか?」
木下さんは苦笑いを浮かべ、「実は、全然用意してないんです…それも、どんなものを買えばいいか分からなくて」
「まずは、3日分の水と食料を目安に準備しましょう。さらに、充電式のライトやラジオ、毛布なども備えておくと安心です。特に社員が多い場合は、全員分を確保することが難しいかもしれませんが、最小限でも用意しておくと安心感が違います」
「なるほど…」木下さんは、今度は真剣な表情で五郎の言葉を聞いている。
「最後に、定期的な避難訓練を行うことが大切です。机の下に隠れるだけでなく、実際に避難経路を通って外に出る練習をすることで、万が一の時に混乱せずに行動できるようになります」
木下さんは目を輝かせ、「それなら、月に一度くらい訓練をしてみましょう。社員たちにも安心してもらいたいですし」と前向きな姿勢を見せた。
「そうですね。防災は普段からの備えがすべてです」と五郎は微笑む。
「小松さん、今日は本当にありがとうございました。今まで気づかなかったことばかりで、目からウロコです。さっそく社内で話し合って、準備を進めます」
五郎は深くお辞儀をし、オフィスを後にした。ビルを出ると、空が少し曇り始めている。
「防災の基本はいつでもシンプルだ。備えること、そして訓練すること。それが安心への第一歩だ」
彼は独りごち、また次の依頼先へと足を運ぶ。腹が少し空いてきたが、今日もまだ仕事が残っている。防災哲学を広げる旅は、終わりを知らないのだ。