彼の名は小松五郎、フリーの防災コンサルタントである。五郎は防災について独自の哲学を持ち、その哲学を求めて一人歩き続ける。
今日の訪問先は、横浜市郊外にある個人経営の喫茶店「カフェ陽だまり」。店主の山口さんから「古い建物だし、地震が怖いんです」という相談が舞い込んできた。昭和の雰囲気が残るこの喫茶店は、近所の人々が集まる憩いの場所。しかし、建物は築40年以上で、地震が来たらどうなるか心配しているとのことだ。
五郎は、昔ながらの木造のカフェの前に立ち、古びた看板と店内から漏れるコーヒーの香りにふと懐かしさを感じた。「趣があっていい店だが…防災面では不安が残るな」と心の中で呟きながら、静かにドアを開けた。
「いらっしゃいませ!」と、笑顔の山口さんが出迎える。50代の彼は、この店を親から引き継ぎ、ずっと守り続けてきた。客席には常連らしき年配の夫婦が、のんびりとコーヒーを楽しんでいる。
「小松五郎です。今日は防災についてのご相談に伺いました」と挨拶する五郎に、山口さんは安心した表情を浮かべた。
「お忙しいところありがとうございます。うち、古い建物だから、地震が来たらどうなるか不安で…」
五郎は店内を一瞥し、木の柱や天井の梁を確認しながら、口を開いた。「確かに、木造建築は地震に弱い部分がありますが、適切な対策を取ることで安全性を高めることはできます。まずは耐震補強の相談を、専門業者にすることをお勧めします。柱や壁に補強を入れるだけで、建物の強度は大幅に向上します」
山口さんは眉をひそめ、「でも、補強工事って結構お金がかかりますよね…」
五郎は頷きつつも、「そうですね。費用の問題は避けられませんが、まずはできることから始めましょう。例えば、家具の固定やガラスの飛散防止対策など、すぐにできることもあります」と提案した。
「家具の固定ですか?」と山口さんは首を傾げる。
「はい。まず、この大きな本棚や飾り棚ですが、これらが地震で倒れるとお客さんが危険です。L字金具で壁に固定するだけで、倒壊のリスクを大幅に減らすことができます。また、棚の上に置かれている陶器や飾り物は、耐震マットを使って滑りにくくしておくと安心です」
山口さんは目を丸くして、「そんな簡単なことで防げるんですね」と感心した様子で言った。
「防災は、こうした小さな対策の積み重ねが重要です」と五郎は静かに答える。
「それから、ガラスの問題です。店の窓が大きくて綺麗ですが、地震が来たときに割れると危険です。飛散防止フィルムを貼っておけば、ガラスが割れても破片が飛び散るのを防ぐことができます。特にお客さんがいる店内では、この対策は必須です」
「飛散防止フィルムか…それならすぐにできそうです。最近、大きな地震が増えてきているし、心配だったんです」と山口さんは真剣な表情になった。
「もう一つ、避難ルートの確認も大切です。万が一地震が発生した際、お客さんを安全に外に誘導するために、どのルートを使うか事前に確認しておくことが重要です。この店の場合、入り口が一つしかないので、避難の際に混乱が起こらないよう、お客さんを誘導する方法をスタッフと共有しておくといいでしょう」
「確かに、一つのドアだけだと混乱しそうですね…他に出口はないから、どうやってうまく誘導するか考えておきます」と山口さんは頷いた。
「また、店内には非常用の懐中電灯やラジオ、簡易トイレなどの備蓄を置いておくと安心です。もし、災害が起きたときにお客さんがここに避難することも考えられますから、その時に備えておくのも一つの対策です」
「なるほど、そこまで考えてなかったけど、確かにそうだな…」と、山口さんは腕を組みながら考え込んだ。
「防災は、すぐに大きな変化を求める必要はありません。少しずつでも、確実に対策を積み重ねることが大切です」と五郎は優しく微笑みながら言った。
「小松さん、今日は本当にありがとうございます。これで少しは安心できそうです。防災って、もっと難しいものかと思ってたけど、意外と日常の中でできることがたくさんあるんですね」と山口さんは深く頭を下げた。
「いえ、日常の中で少しずつ備えること。それが防災の基本です」と五郎は静かに答え、カフェを後にした。
店を出ると、秋の涼しい風が心地よく吹いてきた。五郎はふと立ち止まり、青空を見上げた。「防災は常に日常の中にある。気づくこと、それが始まりだ」と、独り言を呟き、また次の依頼先へと歩き出した。
空腹を感じながらも、五郎は一歩一歩、孤独な防災の道を歩み続ける。