彼の名は小松五郎、フリーの防災コンサルタントである。五郎は防災について独自の哲学を持ち、その哲学を求めて一人歩き続ける。
今日は、横浜市の中心にある中規模なオフィスビルへ向かう。依頼者はビルを管理している田村という男性。オフィスビルには複数の企業が入っており、地震や火災時の避難方法、備蓄の問題について不安を抱えているという。
五郎はオフィス街の中にそびえるビルを見上げた。「高層ビルの防災か…。見渡しが利くが、それだけに階段の確保や避難の迅速さが課題になるな」と、心の中で思いながら、ビルのロビーに足を踏み入れた。
「小松さん、わざわざありがとうございます」と出迎えたのは、50代前半の田村さんだ。「このビルにはいくつもの企業が入っているんですが、正直、地震が起きたらどうやって避難させればいいか不安なんです」
五郎は田村の言葉に静かに頷きながら、エレベーターの近くや階段を一瞥した。「まず、エレベーターは使用できなくなることが想定されます。非常階段がメインの避難経路になりますが、そのルートが明確に示されているか確認してみましょう」
田村と共に非常階段に向かった五郎は、注意深く階段の様子を確認した。狭いが、なんとか避難可能なスペースは確保されている。しかし、非常口の案内が少なく、一部のドアは施錠されているのが気になった。
「この階段ですが、非常時には全フロアの人々が一斉に避難することになります。まず、各階でスムーズに人が流れるように、非常口の明示をしっかり行い、動線の邪魔になるものを取り除くことが重要です。また、一部のドアが施錠されているようですが、緊急時にすぐに開けられるようにしておく必要があります」
「施錠ですか…。確かに、オフィスの安全を保つために一部のドアは通常施錠されていますが、地震のときには問題になりますね」と田村は苦い顔をした。
「また、従業員の皆さんが避難経路を知っているかどうかも確認してください。定期的に避難訓練を行うことで、避難ルートを体験しておくと、いざというときに冷静に行動できます」と五郎は付け加えた。
「そうですね、避難訓練は形式的に行われていることが多く、しっかりと意識を持っていないかもしれません。従業員全員が真剣に取り組む必要がありますね」と田村は考え込んだ様子で言った。
五郎は続けて、ビル内の備蓄状況について尋ねた。「地震が起きた場合、エレベーターが使えない中、ビルに数時間、場合によっては数日間閉じ込められる可能性もあります。非常用の備蓄は各フロアで管理されていますか?」
田村は首を横に振った。「備蓄はビルの1階に少しあるだけです。フロアごとには特に備えていません」
五郎は軽くため息をつき、「災害時には、フロアごとに必要な分だけでも水や非常食、簡易トイレなどを備えておくことが必要です。特に高層ビルでは、電気が止まると一時的に身動きが取れなくなることが考えられます。備蓄を1階に集中させるのではなく、各フロアに分散させておくのがベストです」とアドバイスした。
「なるほど…1フロアに集中しても、そこにたどり着けなければ意味がないですね」と田村は目を見開いた。
「それから、地震以外にも火災対策も重要です。避難経路が煙で覆われる場合も想定し、各フロアに非常用の防煙マスクや懐中電灯を常備しておくことも考えた方がいいでしょう」
田村は深く頷きながら、「分かりました。非常用設備の再確認を行って、備蓄の再配置や避難経路の見直しを早急に進めます。小松さんのアドバイスで、やっと具体的な対策が見えてきました」と言った。
「防災は、実際の場面を想定して準備しておくことが大切です。避難の流れ、備蓄の位置、どれも事前にシミュレーションしておけば、被害を最小限に抑えることができます」と五郎は最後に微笑み、オフィスビルを後にした。
ビルの外に出ると、日差しがまぶしく反射していた。高層ビル群を見上げながら、五郎はつぶやく。「備えあれば憂いなし。防災は目に見えない部分にこそ、力を注がねばならない」
孤独な防災の道は、今日も続いていく。