あの日、私はいつもの朝を過ごしていた。
仕事に遅れないように、急いでコーヒーを飲み、家を飛び出して電車に乗った。
何も特別なことなどない日常の風景。
通勤ラッシュの満員電車に揺られながら、スマホでニュースを眺める。いつもの通りの風景が続くはずだった。
突然、ガクンと電車が止まった。車内が一瞬でざわつく。
スマホに注意を向けていた私は、思わず顔を上げた。
「地震が発生しました。安全確認のためしばらく停車します」
車内アナウンスの声が響き、乗客たちが顔を見合わせていた。
私はふと、「何か大切なことを忘れている」という漠然とした不安を感じた。
しかし、その時はそれが何かは分からなかった。
揺れが収まり、電車が再び動き出すと、その不安は一時的に忘れられた。
仕事場に着くと、次々に押し寄せるタスクに集中することで、地震のことも、朝感じた胸騒ぎもすぐに頭から消え去っていった。
午後になり、会社のビルが再び大きく揺れた。
今朝の地震の余震だろうか。揺れは強く、立っていられないほどだった。
警報が鳴り響き、同僚たちが避難指示に従って慌てて動き始めた。
私はデスクからスマホと財布だけを取り、オフィスから急いで出た。
避難するために階段を駆け下りる中、頭をよぎったのは「備え」という言葉だった。
テレビやSNSで何度も見た防災の大切さ、備えることの重要性。
それらを知っていたはずなのに、私は全く何も準備していなかった。
非常袋なんて家にないし、食料や水も特に備蓄していない。
外に出ると、人々が広場に集まっていた。
皆、不安そうに周囲を見渡し、携帯電話を片手に家族や友人に連絡を取っている。
私は周りの顔を見渡しながら、何も準備していない自分に対して恐怖と後悔を覚えた。
非常袋もなければ、緊急時の知識もほとんど持っていない。
ただの無防備な存在に過ぎないことを、初めて実感した。
夜になり、会社からの解散指示が出た。
帰宅途中の道中、ニュースを確認すると、地震による被害が広がっており、私の住む地域にも避難勧告が出ているという情報が流れてきた。
急に心臓が早鐘を打つように動き出した。
私は、家に帰るのではなく、そのまま近くの避難所に向かうことを決断した。
避難所に到着すると、そこはすでに多くの人々で溢れていた。
彼らは毛布や食料、飲み物を手にしていたが、私は手ぶらだった。
持っているのは財布とスマホだけ。
何の準備もなく、何もないまま、ただ不安だけが胸に広がっていく。
私は壁際に腰を下ろし、周囲を見回した。
子供を抱いた母親、老人を介助している若い男性、疲れた表情のサラリーマン。
皆それぞれ、持っているものを使ってどうにか夜を過ごそうとしていた。
その時、隣に座っていた女性が私に声をかけてきた。
「何もお持ちじゃないんですか?良かったらこれ、少し分けますよ」
彼女は自分の非常袋から小さな水のボトルとビスケットを差し出してくれた。
その親切さに思わず涙がこぼれそうになった。
私は謝りながらビスケットを受け取り、少しだけ口に含んだ。
「ありがとうございます…実は、備えなんて全然してなくて…」
その言葉に彼女は微笑んだ。
「初めての時は誰もがそうです。でも、こういうことが起きると、次はしっかり準備しようって思いますよね」
その言葉に、私は深く頷いた。
無防備な自分が今ここにいること、それは自分の責任だと痛感した。
しかし、こうして誰かの助けがあることで、不安は少し和らいだ。
そして、この体験を次に活かさなければならないと強く思った。
夜が更ける中、私は避難所の隅で自分に誓った。
今度こそしっかり備えをしよう。
そして、いざという時、誰かに迷惑をかけることなく、自分も誰かを支えられるように。
防災の備えは、物理的な物だけではなく、人とのつながりも含まれると感じた。
人々と支え合い、助け合うことで、初めて真の意味での「備え」が完成するのだと、私はその夜、深く実感した。
翌朝、避難所の外には明るい光が射し込んでいた。
少しずつ復旧作業が始まり、ニュースでは状況の改善が報じられていた。
私は、手にしたビスケットの最後の一かけらを口に入れながら、これが最後の無計画な避難にしようと心に決めた。
私にはまだ家があり、そこに戻れるのだから、次は絶対にしっかりと備える。
そして、次に何かが起こった時には、助けられる側ではなく、助ける側に立ちたいと。
「備えを忘れただけなのに…」
その代償は大きく、不安と恐怖を伴うものだったが、それでも学びを得たことは無駄ではない。
私は新しい一歩を踏み出すため、もう一度しっかりと前を向いて歩き出した。