ある日曜日の朝、目が覚めると、窓から差し込む明るい日差しがリビングを包んでいた。
私はいつも通り、朝食を準備しながらキッチンのラジオを流し始めた。
ニュースでは「災害への備えを呼びかけるキャンペーン」の話題が繰り返されていた。私は少しだけ苦笑した。
「また備えか…確かに大事だけど、面倒だな」
そう思いながらも、以前近所の防災訓練に参加したときに渡された非常袋をふと思い出し、クローゼットの奥から取り出した。
袋を開けてみると、保存食や水、懐中電灯などがきちんと入っている。私はそのまま袋を整理し、玄関の近くに置いた。
それは何か特別なことではなく、ただ、万が一のためという漠然とした気持ちだった。
その夜、予想もしない出来事が起きた。
ベッドに入ってから30分ほど経った頃、突然の揺れが家全体を襲った。
最初は小さな揺れかと思ったが、次第に揺れは強烈になり、体がベッドから転がりそうになるほどだった。
激しい揺れが続く中、ガラスの割れる音や棚から物が落ちる音が聞こえた。
私は慌てて体を起こし、頭を手で守りながら必死に身を隠した。
「こんなに大きな地震が来るなんて…!」
震度7の大地震だと気づいたのは、揺れが収まってからだった。
あまりに激しい揺れに、時間の感覚さえも麻痺していた。
家の中は散乱し、家具や家電が無造作に倒れていた。
停電も起こり、部屋は暗闇に包まれた。スマホの光を頼りにリビングに向かい、何とか玄関に辿り着くと、私はクローゼットに置いた非常袋を思い出した。
「防災…防災なんて、備えても意味がないんじゃないかと思ってたけど…」
手にした非常袋の重さが、その瞬間、私にはとても頼もしく感じられた。
中を確認すると、水、保存食、懐中電灯、電池、簡易トイレなどが整然と収まっていた。
それを持って、私は外に出た。外には近所の住民たちが混乱の中で集まっており、誰もが不安な顔をしていた。
私は非常袋を持ちながら、震えている隣人の一人に声をかけた。
「大丈夫ですか?水、必要ならどうぞ」
その言葉に隣人は驚いた顔をして、静かに水を受け取った。
彼の手は冷たく、震えていたが、その水を手にした時、彼の顔に少しだけ安堵の表情が浮かんだ。
「ありがとう…本当に助かります」
その瞬間、私は初めて気づいた。防災は自分のためだけではない。
自分が備えをしていたからこそ、隣人に水を渡すことができた。
備えは他者を助ける力にもなるのだと。その時、初めて「備えることの意味」を実感した。
夜が明け始めると、避難所の準備が進み、人々が次々と避難所へと向かっていた。
私も非常袋を持って、そこに向かうことにした。避難所にはすでに多くの人が集まっていたが、物資の不足が問題になっているようだった。
ボランティアスタッフが一生懸命配給を行っていたが、それでも限りがあった。
私は非常袋を開けて、自分の分を少しずつ他の人々とシェアした。
子供連れの家族にはビスケットを、年配の夫婦には水を手渡した。
それは特別なことではなく、ただできる限り助けたいという気持ちからだった。
「ありがとう、本当に助かります」
何度もお礼を言われ、その度に私は感じた。
備えをすることは、単に自分の命を守るだけでなく、こうして他の人々にも安心を届けることができる。
あの日、何気なくクローゼットから取り出した非常袋は、ただの備えではなかった。
それは「誰かを助けるための備え」だった。
震度7の大地震は、私の生活を一瞬で変えた。
家は損傷し、普段の生活はすっかり失われてしまった。
それでも、備えがあったからこそ、私は自分の力で少しずつ道を切り開けた。
そして何より、それが誰かの役に立てたことが、私にとっての大きな励みとなった。
「防災だから備えたんじゃなくて、備えたのが防災だったんだな」
私はその言葉を心の中で繰り返しながら、これからの生活に向けて新たな決意を固めた。
もう一度家を再建し、そして次はもっとしっかりと備えを整える。
自分のため、そして周囲の人々のために。