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私の名前はタカシ。今はゾンビの一員だが、どういう訳か理性だけは残っている。

どうやら私は普通のゾンビじゃないらしい。

 

数日前、妻のアヤカが私に襲いかかってきた。

愛してた妻が、今では真っ白な目をして、牙をむいて私に迫る。

あの時の恐怖と悲しみを思い出すたび、私は自分がゾンビになってもまだ心を持っていることが信じられない。

奴らに噛まれて倒れた私は、起き上がった時にはすでにゾンビになっていた。

でも、なぜか頭ははっきりしているんだ。

 

最初はただ生きてることが奇妙で仕方なかった。

自分の身体がもう死んでいるのに、意識だけがそこにある。

身体は冷たく、血も通っていない感覚なのに、なぜか私の中にあるこの理性が消えないことに戸惑いを感じていた。

けれどすぐに、身体が別の欲求を抱え始める。

空腹だった。

普通のゾンビみたいに、生きてる人間の匂いを嗅ぐと、それがまるで焼けた肉のように香って、口の中が唾液で溢れてきた。

無意識に歩き出して、生き残りを追い求めた。

 

そのうち、私と同じようにさ迷う他のゾンビたちと出くわした。

奴らはただの空っぽの生き物で、目的は一つだけ。

食べること。

私もそうだった。

目の前にいた生きた人間を見つけた時、奴らと一緒に襲いかかった。

だが、その瞬間、胸の奥にある何かが叫んだ。

違う、こんなことをするために私はまだ意識を持っているわけじゃない、と。

 

それで私は考えたんだ。

他にもっと美味いものがあるんじゃないかって。

人間の記憶があったから、料理ができるってことを思い出した。

ゾンビでも料理できるなんて、誰が考えたことか。

だけど私は挑戦してみたんだ。

ゾンビのままで、美味しい飯を食ってやろうと。

 

まずは近くの廃墟になったコンビニを見つけた。

棚は荒らされてるけど、缶詰はまだ少し残っていた。

スパムの缶詰を手に取り、そして錆びついたナイフを見つけた。

これをどうにかすれば、少なくとも生の肉よりはマシな食事ができるんじゃないかと思った。

コンビニの裏にあった錆びたバーベキューコンロを使って、私は火を起こそうと試みた。

火をつけるのは思ったより難しかったけど、何とか着火剤を見つけて火をつけた。

 

火を起こすまでにはかなりの時間がかかった。

指先が震えて何度も失敗したし、ゾンビ化した身体は思ったよりも不器用だった。

それでも諦めなかったのは、私がまだ人間だった頃の執念のようなものがあったからだと思う。

コンロの上でスパムを焼く音がした。

じゅうじゅうと香ばしい匂いが漂ってきた。

その瞬間、私の中のゾンビ部分が静かになった気がした。

そうだ、私は人間だった頃の食事を求めているんだ、と。焼けたスパムを手に取り、口に入れた。

ゾンビになった私でも、味はまだ感じることができるんだ。

塩辛い、脂っこい、けれどどこか懐かしい味。

 

次は何を作ろうかと考えた。

食べ物を探すためにさ迷い歩くと、崩れた家々の中から乾麺やスープの素が見つかった。

乾麺を手にした瞬間、アヤカと一緒にラーメンを食べた夜のことを思い出した。

妻はよく「タカシ、こんな夜がずっと続けばいいのにね」と微笑んでいた。

私はその記憶に涙が出そうになったけど、ゾンビになった今、涙は出ない。

 

それでも私はラーメンを作った。

雨水を集めて鍋で沸かし、乾麺を入れた。ガスコンロはもう使えないから、火は廃材を燃やして起こした。

湯気が上がる鍋を見つめながら、私は思ったんだ。

私はまだ料理ができる、まだ「生きてる」証拠を残せるんだって。

 

麺が柔らかくなり、スープの素を入れてかき混ぜる。

湯気の中に、私がかつて愛した平凡な日常が見えた気がした。

器なんてなかったから、鍋から直接食べた。その味は、あの日のアヤカの笑顔を思い出させるような優しさがあった。

ラーメンの温かさが喉を通り抜けるたびに、私の中にあった冷たさが少しだけ和らいでいくような感覚があった。

 

他のゾンビたちは、私が料理をしているのをただ無感動に見ていた。

奴らは分かっていない、ただ生きてる人間を襲うだけの連中だ。

でも私は違うんだ。

私はまだ「味わう」ことができる。

ゾンビでも、ただの飢えた化け物にはなりたくない。

 

私はこれからも、ゾンビのままで料理を作り続ける。

生き残った人間を襲うのではなく、美味しいものを探して、作って、食べる。それが私に残された唯一の生きる意味だから。

そしていつか、もしもこの世界にまた「平和」が訪れる時が来るなら、その時私は、もう一度アヤカのために料理を作りたい。

彼女の笑顔を取り戻すために。

 

ゾンビ飯――それは、ただの飢えを満たすためじゃない。

私がまだ「私」であるために必要なものだ。

料理をするたびに、私は自分がただのゾンビじゃないことを確かめる。

どんなに世界が壊れても、私が「私」であり続けるために、私はこれからも料理をし続けるだろう。