横浜の夜が深まり、静かな街の中に「Serendipity」の灯りが温かく浮かんでいた。
小松さんはカウンターの中で、いつものようにグラスを磨きながらお客さんを迎える準備をしていた。
その夜、ドアが開き、20代後半の女性が入ってきた。
カジュアルな服装で、肩にリュックを背負い、どこか疲れたような表情をしていた。
カウンターに座ると、ふと小松さんと目が合った。
「こんばんは」
「こんばんは。何か、おすすめのカクテルをいただけますか?」
「もちろんです。ちょっと甘くて、リラックスできるものがいいですね。アマレットサワーはいかがでしょう?」
「いいですね。それをお願いします」
小松さんがカクテルを作り始めると、女性はリュックをそっと下ろし、深い息をついた。
「最近、引っ越したばかりで…ちょっとバタバタしてたんです」
「そうなんですね。引っ越しは大変ですよね。新しい生活に慣れるのも時間がかかりますし」
「ええ。でも、それだけじゃなくて…新しいマンションに住み始めてから、防災のことが急に気になり始めて。特に、地震とか。どう備えればいいのかもよく分からなくて」
「防災について考えるのは大事なことですよ。まずは、少しずつ準備をしていけばいいと思います」
小松さんはそう言って、アマレットサワーを彼女の前にそっと置いた。
「ありがとうございます。甘い香りがいいですね」
「気に入ってもらえると嬉しいです。防災のことですが、例えば、まずは非常食や水を少しだけでもストックしておくのはどうでしょう?」
彼女はカクテルを一口飲み、少し考え込むようにしてから答えた。
「非常食か…。普段、あまりそういうのを買ったことがないんですけど、何を用意すればいいんでしょう?」
「基本的には、保存が効くものがいいですね。缶詰やレトルト食品、それにミネラルウォーターなど。あと、お菓子や自分の好きな食べ物を少し入れておくと、いざというときに安心感が増しますよ」
「なるほど。それなら、できるかもしれない」
「それに、避難リュックを準備しておくのもおすすめです。いざというときに持ち出せるように、必要なものをコンパクトにまとめておくと安心です」
「避難リュックか…。正直、考えたこともなかったけど、あると便利そうですね」
「そうです。地震だけじゃなくて、台風や大雨のときにも役に立ちますしね。準備しておくと、少しだけでも安心感が得られるはずです」
彼女はうなずきながら、小松さんの話に耳を傾けた。
「そういえば、最近の地震のニュースを見て、不安になったんです。『もし自分の住んでいるところで起きたらどうしよう』って」
「それは自然な感情だと思います。でも、だからこそ、備えが大事なんです。小さなことからでいいので、少しずつ準備していけば、不安も少しずつ和らいでいくはずです」
「わかりました。ちょっとずつでも始めてみます。ありがとうございます、小松さん」
「いつでもお待ちしています。ここは素敵な偶然が待っている場所ですから」
彼女はアマレットサワーを飲み干し、ほんの少しだけ顔が明るくなったように見えた。
小松さんのアドバイスを胸に、新しい生活の中で少しずつ防災の準備を進める決意を固めた。
その夜もまた、「Serendipity」で生まれた人と人との温かい交流が、小松さんの心に深い満足感をもたらした。