彼の名は小松五郎、フリーの防災コンサルタントである。
五郎は防災について独自の哲学を持ち、その哲学を求めて一人歩き続ける。
今日は、山間部の小さな村にある旅館から依頼が入った。
この旅館は古い建物で、地元の名産品を楽しめることで知られているが、災害時の対策が心配だという。
五郎は、バスに揺られて山道を抜け、ようやくその旅館にたどり着いた。
「ようこそ、小松さん」
玄関先で出迎えたのは、旅館の女将、佐々木さんだった。
柔らかな笑顔を浮かべているが、その表情の奥に少しの不安が見え隠れしている。
「遠いところまでありがとうございます。うちは古い建物ですから、災害が起きたらどうすればいいのかと…」
「こちらこそ、呼んでいただきありがとうございます」
五郎は建物を見上げた。
木造の趣ある造りで、歴史を感じさせるが、同時に耐震性が気になる。
「まずは、旅館の中を見せていただけますか」
「もちろんです。どうぞこちらへ」
佐々木さんに案内されながら、五郎は廊下や客室を確認していった。
特に気になったのは、通路が狭く、あちこちに装飾品や家具が置かれていることだった。
「地震が起きた場合、これらの装飾品が落ちたり、家具が倒れたりして危険です。お客様がパニックになることも考慮して、避難経路は常に開けておくことが大事です」
佐々木さんは頷きながら言った。
「そうですよね。でも、これがうちの雰囲気を作っている部分でもあって…少し悩ましいです」
「確かに、装飾も旅館の魅力の一つです。ただ、災害時には安全が第一ですので、固定できるものはしっかり固定し、避難経路の邪魔になるものは片付けるか、別の場所に移すのが理想です」
「なるほど…確かに、安全を考えれば仕方ないですね」
五郎はふと立ち止まり、客室の一つを指差した。
「あの部屋、避難ルートから少し離れていますが、非常時にはどうする予定ですか」
佐々木さんは少し考え込みながら答えた。
「お客様には、近くの非常口から出ていただくつもりですが…スタッフが全員をすぐに誘導できるかどうかが心配で」
「それなら、非常口の場所をもっと目立つように表示し、避難の手順を分かりやすく案内しておくと良いですね。普段から従業員の方にも訓練してもらい、緊急時にはすぐに行動できるようにしておきましょう」
「わかりました。さっそく取り掛かります」
旅館の厨房に入ると、調理場には火災警報器が見当たらない。
「ここには火災警報器が必要です。厨房は火災のリスクが高い場所ですから、すぐに対策を考えましょう」
佐々木さんは目を丸くしながらも素直に受け入れた。
「そうですね。あまり気にしていませんでしたが、大変なことになってからでは遅いですもんね」
五郎は頷いた。
「おっしゃる通りです。火災が発生したら、煙が広がる前にすぐに対処できるよう、消火器の配置も再確認してください。スタッフの皆さんに、火が出たときの対応をしっかり教えておくことも重要です」
佐々木さんは深く息をついた。
「最近は観光客も増えて、忙しくてつい対策が後回しになっていました。でも、これを機にしっかり整えます」
最後に五郎は、旅館全体の避難訓練を提案した。
「定期的な避難訓練を行いましょう。特に、満室の日にどのようにお客様を誘導するかをシミュレーションしておくと、いざという時に慌てずに済みます」
「お客様が協力してくれるか心配ですが…頑張ってみます」
佐々木さんの声には、少し決意が込められていた。
五郎は旅館を後にし、山道を歩きながらふと空を見上げた。
「伝統と安全、その両方を守るためには、やはり備えが欠かせない。防災とは、未来のための準備だ」
孤独な防災の旅は、終わることなく続いていく。