夜が深まり、横浜の街も静けさに包まれた頃、「Serendipity」の暖かな灯りがゆったりと揺れていた。
小松さんはカウンターの向こうで、穏やかな微笑みを浮かべながらお客さんを迎える準備をしていた。
その夜、ドアが開き、一人の中年の男性が入ってきた。
彼は少しぼんやりとした表情でカウンターに座り、小松さんに向かって軽く手を挙げた。
「こんばんは」
「こんばんは。今日はどんなカクテルをお探しですか?」
「うーん…なんだろう。少しほろ苦いけど、どこか甘さも感じるような、そんな感じのがいいかな」
「かしこまりました。それなら、ブラックルシアンはいかがでしょう。コーヒーリキュールとウォッカのほろ苦さがありつつ、ほんのり甘みもありますよ」
「それ、もらいます」
小松さんがカクテルを作り始めると、男性はふと遠くを見つめるような表情をした。
「実は、家族で防災について話そうと思ってたんです。でも、なかなかタイミングが合わなくて…」
「ご家族と防災の話をするのは、大切なことですね。でも、確かにきっかけがないと難しいと感じるかもしれません」
「そうなんだよね。自分だけ心配しても意味ないし、みんながちゃんと理解してくれないと」
小松さんはブラックルシアンを作り終え、そっと彼の前に置いた。
「少しずつでいいんですよ。防災は一度に全部を話す必要はないので、例えば食事中に『災害が起きたらどうするか』を軽く話題にしてみたり。小さな会話から始めるのが良いかもしれません」
「なるほどな…確かに、いきなり真剣に話そうとすると、重くなりがちだしな」
「そうですね。まずは、ご家族が日常の延長線上で考えられるように、自然に防災の話を取り入れてみてください」
男性はブラックルシアンを一口飲み、少しほっとした表情を見せた。
「これ、いいね。ほろ苦くて、それでいてスッとする感じが。ありがとう」
「気に入っていただけて良かったです。あと、防災の話をするときは、具体的な例を出すと効果的かもしれません。『もしこの場所で災害が起きたら、どうする?』って、シミュレーションするのも一つの方法です」
「確かに、リアルな状況を想像させることで、みんなも考えやすくなるかもしれないな」
「ええ。そして、お互いの意見を聞くことも大切です。家族それぞれが『自分だったらどうするか』を考えることで、自然と防災意識が高まりますし、協力し合える関係が築けます」
「なるほどな…小松さん、ありがとう。なんだか、ちょっとだけ自信が持てた気がするよ。やってみるよ」
「いつでもお待ちしています。ここは素敵な偶然が待っている場所ですから」
男性はブラックルシアンを飲み干し、微かに笑みを浮かべて席を立った。
小松さんのアドバイスを胸に、少しずつでも家族と防災について話してみようと決意を新たにし、静かな夜の街に戻っていった。
その夜もまた、「Serendipity」で生まれた人と人との温かい交流が、小松さんの心に深い満足感をもたらした。