横浜市郊外に佇む小さなカフェ、『Serendipity Coffee』。
柔らかな日差しが窓から差し込み、店内にはほんのりとコーヒーの香りが漂っている。
カフェのオーナーである小松さんは、カウンター越しにドリップコーヒーを丁寧に淹れていた。
20代後半の彼女は、かつて防災コンサルティング会社で働いていた経験を持ち、その知識をこのカフェで相談しながら日々の会話を楽しんでいる。
その日の昼下がり、30代の男性が店に入ってきた。
スーツ姿で、少し疲れた様子だったが、カウンターに向かうと小松さんに軽く会釈をした。
「こんにちは。今日はカフェラテをお願いします」
「こんにちは。カフェラテですね」
小松さんは注文を受けると、スチームミルクの準備を始めた。
「お仕事の合間ですか?」
「はい、ちょっと一息つきたくて」
男性は椅子に腰掛けながら答えた。
「実は最近、会社で防災について考える機会があって。でも、どう話を進めたらいいか悩んでるんです」
「会社で防災ですか。それは大事なことですね」
小松さんは興味を示しながら、カフェラテを丁寧に作り始めた。
「どんなことが気になっているんですか?」
「うちの会社、ビルの高層階にあって…だから、もし地震が来たらどうするのかとか、避難経路をちゃんと確認した方がいいんだろうなって。でも、社員のみんなにどうやって話を持ちかければいいか、うまくいかなくて」
「確かに、高層階だと避難が難しい場合もありますからね」
小松さんはカフェラテをカップに注ぎながら、うなずいた。
「まずは、日常的にできることを提案してみてはどうでしょう。例えば、避難経路の確認や、デスクの周りの安全対策とか」
「日常的に…」
男性は考え込むようにしてから、ふと顔を上げた。
「なるほど。確かに、いきなり大がかりな計画を立てるより、小さなことから始める方がみんなも気楽に取り組めそうですね」
「そうなんです。最初から完璧を目指すと、どうしてもハードルが高くなってしまいますから」
小松さんはカップにラテアートを描きながら続けた。
「例えば、『今日はみんなで避難経路を確認してみましょう』とか、『机の下に隠れやすいように足元を片付けておきましょう』といった感じで。ちょっとしたことから始めれば、意識も自然と高まりますよ」
「なるほど。小さいことでも積み重ねれば、いざという時に大きな違いが出ますよね」
男性は少しずつ表情を柔らかくし、カフェラテを手に取った。
「でも、例えば地震が来た時に、ビルの高層階にいたら、どうすればいいんでしょう?」
「それは、まずその場で安全を確保することが大事です。慌てて階段に駆け下りようとするのは危険なので、しっかりと机の下や壁際に避難して、揺れが収まるのを待ちましょう」
小松さんは真剣な表情で答えた。
「揺れが収まった後に、避難経路を使って外に出るようにします。普段から避難経路の場所を確認しておくと、いざという時にも落ち着いて行動できます」
「そうか…揺れている間は動かない方がいいんですね」
男性は深く頷いた。
「会社でもその話をしてみます。避難経路の確認も、もう一度やっておくべきですね」
「そうですね。あと、もしビルが停電したり、エレベーターが止まった時に備えて、懐中電灯やモバイルバッテリーをデスクに置いておくと安心です」
小松さんは笑顔で付け加えた。
「会社の防災も、個人の備えと同じで、少しずつできることを重ねていけば、それが大きな安心につながりますよ」
「ありがとう、小松さん。なんだか少し気が楽になりました。まずは、簡単なことから提案してみます」
男性はカフェラテを一口飲み、ほっとした表情を見せた。
「こうやって話を聞いてもらえるだけでも、随分と違うんですね」
「そう言ってもらえて嬉しいです。何かあれば、いつでもここに来てくださいね」
小松さんは優しく微笑んだ。
「また防災の話が必要になったら、いつでもどうぞ」
「はい、また来ます。ありがとうございました」
男性がカフェを出ていくと、午後の日差しが少しずつ陰り始めていた。
カフェの中には穏やかな時間が流れ、コーヒーの香りが店内を包み込んでいる。
小松さんは次の注文に取り掛かりながら、会社での防災が進んでいくことを心から願っていた。