横浜市郊外の商店街の一角にある「スナックそなえ」は、毎晩賑わいを見せる場所だ。
外から見ると、どこにでもあるスナックバーのようだが、中に一歩足を踏み入れると、そこには独自の雰囲気が広がっている。
店内の壁には防災に関するポスターや、地震対策のマニュアルが飾られており、一目で小松ママの趣味と知識が感じられる。
その夜、カウンターに座っていたのは会社員の鈴木さん。
スーツ姿で、少し疲れた表情をしている。小松ママはそんな彼に気づき、声をかけた。
「いらっしゃい、鈴木さん。今日はどうする?」
「こんばんは、ママ。ウィスキーのソーダ割りをお願い」
「ほいほい、ウィスキーね。今日は特別に、うちの手作りお通しもあるからね」
小松ママはグラスに氷を入れ、ウィスキーを注いで、ソーダを勢いよく加えた。
シュワシュワとした音が心地よく響く。そして、彼の前にグラスと共にお通しを置いた。
「これ、今日のお通しは『かぼちゃの煮物』よ。ほっこりするでしょ?」
鈴木さんは箸でかぼちゃを一口食べ、ほっとしたような表情を見せた。
「おいしい…ほんと、こういう家庭的な味って落ち着くなあ」
「そうでしょ?かぼちゃの甘さが疲れた体に効くのよ。で、どうしたの?なんか元気ないじゃない」
鈴木さんはグラスを手に取りながら、少し照れくさそうに話し始めた。
「実はね、この前地震があって、それでちょっと不安になっちゃってさ。家の防災対策が全然できてないことに気づいたんだ」
「なるほどね。それで今夜はちょっと落ち着きたくて来たわけね」
小松ママは頷きながら、鈴木さんの様子を見つめた。
「でもね、備えなんて一気に揃えようとしなくていいのよ。まずは基本から始めればいいの」
「基本って、例えば?」
「うん、例えばね。水、食料、あと…懐中電灯。これがあれば、まずは大丈夫。水は1人3日分、食料も簡単に食べられるものがいいわね。それと、モバイルバッテリーもあると安心よ」
鈴木さんはゆっくりと頷いた。
「なるほど…確かに、全部一気に揃えようとすると大変そうだしな。でも、少しずつならやれそうだ」
「その調子。防災も、お酒と一緒よ。少しずつ楽しみながら揃えていけば、いざという時も心に余裕ができるんだから」
小松ママは、鈴木さんのグラスにもう一度ウィスキーを注ぎ足した。
「そうそう、飲みすぎないようにね。お通しもゆっくり食べながら、少しずつね」
「はは、ありがとうママ。でも、ママの話を聞くと不思議と安心するんだよなあ」
「それは良かった。お通しも、お酒も、そして防災も。全部、大事な心の備えよ」
鈴木さんは小さく笑って、もう一度グラスを持ち上げた。
「じゃあ、今日も乾杯しよう。おいしいお通しと、ママの話に」
「乾杯」
グラスがカチンと軽くぶつかる音が、温かい店内に響いた。
鈴木さんの顔には、少しだけ笑みが戻っていた。
スナックそなえでの小松ママのアドバイスは、今日もまた横浜の街に少しずつ安心をもたらしている。
彼女の親身な対応が、地域の人々にとっての心強い支えとなっていることを、小松ママ自身はおそらくまだ知らないのかもしれない。