横浜の夜空に冷たい風が吹き始める頃、「Serendipity」の柔らかな光が温かい隠れ家のように通りを照らしていた。
カウンターの奥では、小松さんが静かにグラスを磨いていた。
その夜、ドアが開き、一人の若い男性が入ってきた。
20代後半と思われる彼は、スポーツバッグを肩にかけ、少し落ち着かない様子でカウンターに座った。
「こんばんは」
「こんばんは。今日はどんなカクテルがお好みですか?」
「うーん…ちょっと苦みのある、でも飲みやすいものをお願いします」
「それなら、ネグローニがおすすめです。ジンとカンパリ、そしてスイートベルモットのバランスが楽しめますよ」
「それをお願いします」
小松さんがカクテルを作り始めると、彼はバッグを足元に置き、大きなため息をついた。
小松さんはその様子を見逃さず、穏やかな声で話しかけた。
「今日はお忙しかったんですか?」
「ええ、少し。最近、趣味で登山を始めたんですけど、準備がいろいろ大変で。特に、防災っていうか、山での安全対策のことを考えると、不安になるんですよね」
「登山、いいですね。でも、安全対策を考えるのは大事なことです」
「そうなんですけど、何を持っていけばいいのか、何が本当に必要なのか、正直よくわからなくて」
小松さんはネグローニを仕上げ、彼の前にそっと置いた。
「ネグローニです。どうぞ」
「ありがとうございます」
彼は一口飲むと、少し顔が柔らかくなった。
「これ、いいですね。苦みがちょうどいい感じです」
「気に入っていただけて良かったです。登山の安全対策ですが、まずは基本的な持ち物をしっかり揃えることが大切ですね。水や食料、地図、コンパス、そしてライトや予備のバッテリーなど」
「地図とかコンパスは持っているんですけど、ライトとかバッテリーは考えてなかったです」
「それと、緊急時に使える防寒具や応急手当セットもあると安心ですよ。特に山の天候は変わりやすいので、備えを怠らないようにすることが大事です」
「なるほど。意外といろいろ必要なんですね」
「そうですね。でも、全部を一度に揃える必要はありません。少しずつ、登山に行くたびに必要なものを確認して揃えていけばいいと思います」
彼は深くうなずいた。
「あと、防災アプリを入れておくのもおすすめです。山の天気予報や災害情報をリアルタイムで確認できるので、状況に応じて判断がしやすくなります」
「防災アプリか。それは便利そうですね」
「ええ。それに、登山を一緒にする仲間がいれば、必ず情報を共有してください。どんなルートを行くのか、何時に戻る予定かを知らせておくだけでも、安全性がぐっと上がります」
「そうですね。一人で考え込むより、みんなで協力した方がいいのかもしれません」
「その通りです。無理をせず、少しずつ準備を整えていけば、安心して趣味を楽しむことができますよ」
彼は最後の一口を飲み干し、満足げに笑った。
「ありがとうございます、小松さん。少し肩の荷が下りた気がします」
「いつでもお待ちしています。ここは素敵な偶然が待っている場所ですから」
彼はカウンターを後にし、登山の安全対策をしっかりと進める決意を胸に、夜の横浜の街へと戻っていった。
その夜もまた、「Serendipity」で生まれた人と人との温かい交流が、小松さんの心に深い満足感をもたらした。