横浜市郊外の商店街の一角にある「スナックそなえ」は、毎晩賑わいを見せる場所だ。
外から見ると、どこにでもあるスナックバーのようだが、中に一歩足を踏み入れると、そこには独自の雰囲気が広がっている。
店内の壁には防災に関するポスターや、地震対策のマニュアルが飾られており、一目で小松ママの趣味と知識が感じられる。
その夜、初めて来店した若い女性、佐々木さんがカウンターに座った。
スーツ姿で、明らかに仕事帰りのようだ。
緊張した様子でメニューを見ている彼女に、小松ママが声をかけた。
「いらっしゃい。初めてね」
「はい…初めてなんです。会社の同僚にここを教えてもらって」
「それは嬉しいわね。今日は何を飲む?」
「じゃあ、ビールをお願いします」
「ほいほい、ビールね。お通しも出すから、少し待ってて」
小松ママは冷蔵庫からビールを取り出し、ジョッキに注いでから佐々木さんの前に置いた。すぐに、お通しの小鉢も出してきた。
「これ、今日のお通しは『豚汁』よ。アツアツだから気をつけてね」
佐々木さんはお通しを見て驚いた。
「豚汁?ここ、スナックですよね」
「そうよ。でも、うちはちょっと特別。手作りのお通しが自慢なの」
佐々木さんはレンゲですくい、一口食べて目を丸くした。
「おいしい!なんだか、家に帰ったみたいな気分になります」
「でしょ?そういうのが狙いなのよ」
佐々木さんはビールを一口飲んでから、少し話し始めた。
「実は、最近地震が多いじゃないですか。それでちょっと不安になってて…でも、防災って何から始めればいいのか全然わからなくて」
「なるほどね。それでここに来たわけ?」
「まあ、それもあります。同僚が『ママは防災のプロだから相談してみたら』って言ってくれたので」
小松ママは頷き、グラスを持ち上げた。
「それなら任せて。防災なんてね、意外と簡単なのよ」
「簡単…ですか?」
「そうよ。まずは家の中の危ないものを片付けること。特に、倒れそうな家具は固定してる?」
佐々木さんは首を振った。
「いや、全然…。そういうのって必要なんですか?」
「必要よ。大きな地震が来たら、家具が倒れてきて怪我をすることが多いの。まずはそれを防ぐのが基本」
「なるほど…それならすぐにできそうです」
「そうそう。それとね、水。これだけは絶対に忘れちゃダメ。飲み水を3日分、最低でも確保しておくこと」
「水か…ペットボトルでいいんですか?」
「もちろん。それで十分よ。あと、非常食もね。缶詰とかレトルト食品、今はおしゃれな非常食もたくさんあるから、選ぶのも楽しいわよ」
佐々木さんは笑顔になりながら頷いた。
「なんだか、ママの話を聞いてたら不安が少し和らいできました」
「それなら良かった。あとはね、スマホのモバイルバッテリーも忘れないこと。電源がなくなったら、情報が手に入らないからね」
「わかりました。少しずつ準備してみます」
「その調子よ。備えあれば憂いなしって言うでしょ?」
「はい。本当にありがとうございます」
「どういたしまして。さあ、豚汁が冷めないうちに、しっかり食べなさい」
「いただきます」
スナックそなえでの小松ママのアドバイスは、今日もまた横浜の街に少しずつ安心をもたらしている。
彼女の親身な対応が、地域の人々にとっての心強い支えとなっていることを、小松ママ自身はおそらくまだ知らないのかもしれない。